おしらせ


2017/07/17

C.P. GOERZ Berlin DOGMAR 60mm F4.5 (Rev.2)

ゲルツ社のレンズといえばE.フーフ(Emil von Hoegh)が1892年に設計した名玉ダゴール(DAGOR)が定番中の定番だが、このドグマー(DOGMAR)もポートレート用レンズとして忘れてはならない存在であろう。ドグマーには後に「空気レンズ」とよばれる画期的なレンズユニットが導入されており、このユニットの助けを借りることで諸収差を合理的に補正することが可能になっている。レンズを設計したのは同社のショッケとアバンで1913年の事。ショッケは後にマクロスイターで有名なケルン社(スイス)の光学部門を立ち上げる人物である[0]。

歴史の淀みを漂う珍レンズ達 part 3
しっとりとしたハレーションが光輝く

軟調系オールドレンズ
C.P. GOERZ Berlin DOGMAR 60mm F4.5 (改定Rev.2)
空気レンズ(Luft Linsen)とはレンズをより明るくするために導入されてきた設計法の一つで、2枚のレンズの間に狭い空気間隔を設け、本来は何も無いはずの空間部分を屈折率1のレンズに見立てることで、球面収差を効果的に補正するというものである。この方法は1953年に登場するズミクロン(Leitz社)に採用されたことで広く知られるようになり、日本製の大口径レンズにも積極的に導入された。空気レンズのアイデア自体は19世紀末頃に登場しており、独学でレンズの設計法を身に付けゲルツ社を成功に導いたE.フーフ(Emil von Hoegh)も、1898年に明るいアナスティグマート(Doppel-Anastigmat Series IB F4.5)を開発する過程の中で空気レンズのアイデアに到達している[1]。フーフの設計したSeries IBは1903年に同社のW.ショッケ(Walther Zschokke)とF.アバン(Franz Urban)による再設計を経て、ガラス硝材に改良を施したツェロー(Celor)へと発展した[2]。ショッケらはツェローの改良を続け、レンズの前後群を焦点距離の異なる準対称にすることで、遠方撮影時に問題となっていたコマ収差の抑制にも成功、1913年にポートレート撮影への適性を高めたドグマー(Dogmar) F4.5を完成させている[3]。
レンズの設計は下図に示すようなダイアリート型とよばれる形態で、僅か4枚の少ない構成ながらも諸収差を十分に補正できるテッサーのような合理性を持つ。ただし、屈折力を稼ぎにくい性質のため、口径比は明るくてもf4.5あたりが限界であった。ガラスと空気の境界面が8面とこの時代のレンズにしては多く、ハレーションが出やすいのは、このレンズの大きな特徴でもある。古いレンズの描写にみられる独特の「味」や「におい」。現代のレンズが高性能なコーティングを纏うことで、かえって失ってしまったものを、このレンズは呼び覚ましてくれる。
Celor(左)とDogmar(右)の構成図トレーススケッチ(上が前方): 両レンズは一見全く同じに見えるが、Celorは前群と後群が同一構成の対称型であるのに対し、Dogmarは僅かに焦点距離の異なる準対称型である。いくつかの書籍にCELOR/DOGMAR型レンズの設計手順のヒントが掲載されているので、簡単にまとめておこう。まずはじめに正の凸レンズと負の凹レンズを狭い空気層を挟んで配置し、これら光学ユニットの外殻の曲率を非点収差が0になるように与える。次に、凸レンズのガラス屈折率を凹レンズのそれよりも大きくすることで、光学ユニットに新色消しレンズと同等の作用を持たせ軸上色収差を補正する。こうしてできる1対の光学ユニットを絞りを挟んで対称に配置し、歪曲と倍率色収差、コマ収差(メリジオナル成分)を自動補正する。続いて、空気レンズの発散作用を利用し球面収差を補正する(Celorが完成)。この設計の最大のポイントは新色消しレンズの効果を持ちながら同時に球面収差が容易に補正できるところにある。本来は硝材の選択に頼り一筋縄にはいかないところが、空気レンズの導入により容易に補正できるようになっているのだ。ただし、光学ユニットが空気層を持つ対称型レンズの場合には遠方でサジタルコマが補正されないという弱点があるので、ポートレート用や風景用のレンズを作る場合には前群と後群を準対称にすることで、これを改善させる。CELOR(図・左)からDOGMAR(図・右)が生み出された過程がこれにあたる。前後群を準対称にすることでコマフレアを抑制する方法は、1897年に登場したツァイスのプラナー(初期型)で既に実践されている








C.P. GOERZ Berlin DOGMAR 60mm F4.5: 絞り 13枚構成, 設計構成 4群4枚ダイアリート型, 定格イメージフォーマットは中版645, ノンコートレンズ, レンズのマウントネジは34mm径でおそらくネジピッチは1mmだが、中国製ステップダウンリングのファイジなネジがこれを受け入れてくれたので、M42ヘリコイド(11mm-17mm)を間に挟みカメラ側をライカスクリュー(L39)に変換して使用することにした




製品ラインナップ
ドグマーはツェロー(1904年に登場)とともに1915年の米国ゲルツ社のカタログに掲載され、新型レンズとして紹介されている[3]。カタログでは60mmから300mmまで焦点距離の異なる12のラインナップ2+3/8インチ(6cm)、3インチ(約7.5cm)、4インチ(約10cm)、5インチ(約13cm)、5+1/4インチ (13.3cm)、6インチ(約15cm)、6+1/2インチ(16.5cm)、7インチ(約18cm) 、8+1/4インチ(21cm)、9+1/2インチ(24cm) 、10+3/4インチ(27cm)、12インチ(約30cm) (F5.5)を確認することができる。ツェローがスタジオ撮影や製版・コピーなどに最適と記され、近接域を中心にポートレート域までの近距離撮影に向いているのに対し、ドグマーはグラフィックアートや風景撮影に最適であると記されており、近接域から遠距離までの広い範囲をカバーできるレンズとなっている。

参考文献等
[0] 「写真レンズの歴史」ルドルフ・キングスレーク著 朝日ソノラマ
[1]  Doppel-Anastigmat Ser. Ibのレンズ特許:Pat. DE109283 (1898)
[2]  Celorのレンズ特許: US Pat.745550  Celorでは凸レンズに用いられていた高価なバリウム・クラウン硝子が低コストで気泡が少なく光の透過率の高いケイ酸塩クラウン硝子へと置き換えられ、コスト的にも性能的にも前進した
[3] 米国GOERZ社レンズカタログ(1915):新型レンズDOGMARについての解説がある。
 
入手の経緯
日頃お世話になっている工房の職人さんへのプレゼントとして、友人3人と共同で購入したのが今回紹介する金色レンズである。DOGMARのような古典鏡玉が活躍した時代は大判カメラが主流であったため、60mmもの短い焦点距離のレンズはステレオカメラ等の特殊用途向けに少量のみ生産された。このくらい短い焦点距離になると現代のデジタルカメラでも無理なく使うことができ魅力的であるが、市場に出回る機会は極希で決まった相場もない。本品は2017年4月にeBayを介して米国のセラーから落札した個体である。届いたレンズはガラスの状態が非常によいものの、経年のため絞り羽の重なる部分がやや浮き上がってしまう持病があり、この隙間が僅かに光漏れを起こすことがわかった。古いレンズなので交換用の部品もなく、実用に支障がなければ、このまま使うのが良い。このような問題は経年を経たレンズ一本一本が持つ個性みたいなもので、それぞれの個体でしか撮れない独特の描写をつくりだしている。

撮影テスト
ドグマー60mmの定格イメージフォーマットは中版645辺りなので、一回り小さなフルサイズ機にマウントしても、画質的には無理なく使用することができる。レンズを真夏日に用いたところ、開放にてハイライト部分の周りに美しいハレーションが発生し、しっとり感の漂う素晴らしい写真効果が得られた。ピント部は開放からスッキリとしていてヌケがよく、像は四隅まで安定している。背後のボケも四隅まで安定しており、フルサイズ機での使用時による不完全な検証ではあるが、グルグルボケや放射ボケは全く見られなかった。解像力の高いレンズではないが、軟調であることに加えフレアが全く出ないこともあり、ピント部はどことなく密度感を感じさせる美しい仕上がりとなる。不思議な魅力を持ったレンズである。少し絞った辺りからスポットライトのような帯状のハレーションが発生することがあったが、これはこのレンズの絞りにやや持病があるためで、この個体にしかない個性となっている。
軟調系オールドレンズの良さを200%堪能できる素晴らしい描写力、そして、ドグマ―というどこか宗教めいた妖しいネーミングは、このレンズの大きな魅力であろう。自分用にもう1本欲しくなってしまった。
F4.5(開放), Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター)  すっ・・・。

F4.5(開放), Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター)  すばらしい!



約F6.3(少し絞る), Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター) 


F4.5(開放), Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター)  このレンズの写りには解像力では言い表せない不思議な臨場感がある





F6.3, Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター) 光の捉え方がとても美しいレンズだ
F4.5(開放), Sony A7Rii(WB:日陰) + Techart LM-EA7(AFアダプター)  

2017/07/16

PETRI CAMERA Co. High-speed Petri part 5: Petri C.C 55mm F1.7


  
ペトリカメラの高速標準レンズ part 5
ソフトで鮮やかな発色の新感覚レンズ
ボケ味はやっぱりペトリだ
PETRI CAMERA Co., Petri C.C Auto 55mm F1.7
今回取り上げるペトリ 55mm F1.7は、これまで取り上げた同社のシャープな標準レンズとは毛色の異なるモデルで、開放ではピント部をフレアが覆い、滲みを伴う柔らかい描写を特徴としている。ペトリカメラが終末期に送り出した製品なだけに「最盛期をやや過ぎたボクサー。パンチは重いが動きにキレがない」みたいなイメージが脳裏を過り、「どうしたんだペトリ!」と心配にもなったが、写真をよく観察すると解像力は高く、発色は濃厚でパンチ力があるなど、平凡なレンズではない。コントラストも良く、ペトリらしい歯応えのある豪快なボケ味も確かに受け継がれている。この手のソフトな描写傾向はスペックを重視する昭和のカメラオヤジから、さぞ酷評されたに違いない。しかし、デジカメが普及しカメラ女子の人口が一定の割合を占めるなど、時代は変わった。緻密で繊細な画作りを得意とする人やファンタジックな写真を撮る人、特にカメラ女子の中にはこの手の描写を好む人が結構な数いると思う。収差レンズとして再評価されてもよい製品ではないだろうか。
ペトリ C.C Auto 55mm F1.7は評価の高かったC.C Auto 55mm F1.8の後継モデルとして1974年に登場し、ペトリカメラが倒産する1977年までの会社終息期に一眼レフカメラのFTE(1973年発売)とFA-1(1975年発売)に搭載するレンズとして市場供給された[1]。この頃の日本の中小メーカーは自社のシェアを伸ばすため、他社より僅かでも高いスペックの製品を供給することに固執したが、ペトリカメラもその例外ではなく、このレンズはメーカー各社が主軸レンズの口径比をF1.8からF1.7にシフトさせようとする潮流の中で生み出された。レンズ構成は先代のF1.8のモデルと同じ4群6枚のガウスタイプであるが[2]、この時代のF1.7クラスのレンズといえばPentx-M、Hexanon AR、Auto Chinon、ROKKOR-PFなどにみられるように、第2レンズと第3レンズの間に空気層(空気レンズ)を設け5群6枚構成とするのが定石で、収差を抑え込むには4群6枚構成では役不足であった。このレンズの独特な描写は構成を変えずに設計限界の壁を越え、F1.7の領域に踏み込んでしまった代償とも受け取れる。いや、これも計画の内だったのであろうか?

参考
[1]  ペトリ@wiki:ペトリ一眼レフ交換レンズの系譜 標準レンズ編
[2] 光を当て反射面の数を数えると明らかに4群6枚構成になっている

入手の経緯
レンズは2017年2月にヤフオクにてペトリFTにマウントされた状態で売られていたものを入手した。オークションの解説は「ミラーが脱落している。シャッターは降りない。シャッター幕が詰まっている。レンズはカビ・クモリなく綺麗な状態。現状渡し」とのこと。写真で見る限りレンズは綺麗である。ジャンク品であることが宣言されていたが、レンズを道連れにしていると判断、2000円で入札したところ1510円で落札できた。数日後、拭き傷やホコリの少ない綺麗なレンズが届いた。カメラの方はやはりシャッターが壊れており、巻き上げもスカスカなので修理は不可能と判断、こちらはマウント部分を取り出してアダプター作りの材料にすることにした。
PETRI C.C 55mm F1.7: 最短撮影距離 0.6m, 絞り羽根 6枚構成, フィルター径 52mm, 光学系 4群6枚ガウス型, 絞り F1.7-F16, ペトリブリーチロックマウント。なお、レンズのガラス表面には同社が独自にコンビネーション・コーティング(C.C)と呼んでいるシングルコーティングが蒸着されている

 
撮影テスト
レンズの描写の特徴はソフトでありながらも、コントラストや発色が良好なレベルを維持している点である。開放ではコマ収差に由来するモヤモヤとしたフレアがピント部を覆い、柔らかい描写傾向となる。その分だけシャープネスは低下気味でトーンも軽めだが、濁りはなくコントラストや発色は良好な水準を維持している。解像力は依然として同社のF1.8と同等の高い水準にあり、柔らかさのなかに緻密さの宿す線の細い写りとなっている。絞ると急にヌケが良くなりシャープネスとコントラストが更に向上する。背後のボケにはペトリならではのザワザワとした硬さがあり、形を留めながら質感のみを潰したような絵画のような味付けがこのレンズにも継承されている。グルグルボケや2線ボケが目立つことはない。ガウス型レンズ成熟期の1970年代にこんな趣味性の高いレンズを出したペトリカメラには、何か別の狙いがあったのだろうか。



Olumpus PEN E-P3で写真
まずは知り合いのカメラ女子(写真家のemaさん)による写真作例。彼女の作風はこのレンズの性格によくマッチしている。色味はいじってるとのこと。
F1.7(開放), Olympus Pen E-P3(emaさん)

F1.7(開放), Olympus Pen E-P3(emaさん)
F1.7(開放), Olympus Pen E-P3(emaさん)
F1.7(開放), Olympus Pen E-P3(emaさん)
F1.7(開放), Olympus Pen E-P3(emaさん)
F1.7(開放), Olympus Pen E-P3(emaさん)




f1.7(開放), Olympus Pen E-P3(emaさん)

SONY A7Riiでの作例
続いて私がフルサイズフォーマットで撮った写真。

F1.7(開放), SONY A7Rii(WB:Auto) まずは近接での写真をみてみよう。開放でも画質は安定している。ボケ味にはペトリらしさがでており・・・

F1.7(開放), SONY A7Rii(WB:Auto) ・・・形をとどめた妖しいボケ味を醸し出している















F1.7(開放) SONY A7Rii(WB:Auto) ヘリコイドアダプターを用いてレンズの規格を超える近接域を撮っているが、シャープネスはポートレート撮影時と大差ない。この距離を開放でとるというのは無茶なことだが、それなりの画質が維持されているところをみると、接写にも強いレンズのようだ
F1.7(開放), sony A7RII(WB:電球1) 今度は室内で電球と外光のミックス。開放ではフレアがかかりソフトな描写傾向だが、しっかりと解像している
F8, sony A7(WB:曇天) 絞ると急にヌケが良くなり、シャープネスやコントラストが更に向上する。過剰補正型の変化系レンズだ
EE Auto 55mm F1.7とC.C Auto 55mm F1.8の描写比較
最後にEE Auto 55mm F1.7とC.C Auto 55mm F1.8(後期型)の開放描写の比較をおこなった[下の写真]。シャッタースピードやISO値などの撮影条件を同じ値に固定し、ピントは中央の樹木のど真中中で拾っている。カメラはSONY A7を用いた。両者の大きな差はフレア量である。F1.8(写真下段)はスッキリとヌケがよく、そのぶんシャープネスが高い。一方、F1.7(写真上段)はフレアに覆われホワッとした柔らかい写りになり、シャドー部が浮き気味でシャープネスが低下している。ただし、緑の鮮やかさに大差はなく、コントラストや発色がF1.8に比べ悪くなっているという印象はない。むしろ緑はF1.7の方が鮮やかにさえ見える。解像力はほぼ互角で、背後のボケ味がザワザワとしている様子もよく似ているが、F1.7の方が口径比が少し明るい分だけ、ざわつき加減が若干激しい。
C.C Auto 55mm F1.7(上段) と C.C Auto 55mm F1.8 (下段)の開放描写の比較。F1.8の方がフレア量が大幅に少なくシャープネスは明らかに高い。ただし、ソフトなF1.7のほうもコントラストはそれほど悪いものではなく、発色は依然として良好である。緑の鮮やかさはF1.7の方が上かな